洗車をしていると、無口になる。
スポンジが水を含む音。
フェンダーを伝って、泡が落ちていく。
それだけ。
でも、妙に満たされる時間が、たしかにある。
車を洗うという行為は、よく考えると不思議だ。
明日にはまた汚れる。
雨が降れば、一晩で元通り。
それでも、また洗う。
しかも、ちょっと楽しそうに。
きれいになるからじゃない。
たぶん、それだけじゃない。
洗車の最中、頭の中は静かになる。
仕事のこと、明日のこと、人間関係のこと。
いつもは頭の中で騒いでいるものが、
水とスポンジの前では、なぜか黙る。
ボンネットを撫でるように泡を広げていると、
車の輪郭を、手のひらで思い出していることに気づく。
このラインは、こんなに低かったのか。
このフェンダーは、こんなに張り出していたのか。
普段は運転席からしか見ていない“相棒”を、
ようやく全周から眺めているような感覚。
たぶん、頭の中もだ。
なぜ、こんなに気持ちいいのか
理由を、少し考えてみる。
洗車にも、流派がある
人によって、全然違うのが面白い。
どれも間違ってない。好きな時間に、好きなように洗えばいい。
ほんの少しだけ、こだわる
道具を変えるだけで、この時間はもっと良くなる。
たったそれだけで、洗車は“作業”から“時間”になる。
洗い終わったあとの、あの数分
拭き上げが終わって、道具を片付ける。
少し離れて、車を眺める。
水滴の一つも残っていない、きれいなボディ。
そのとき、なぜか一杯のコーヒーが飲みたくなる。
誰に見せるわけでもない。
この車で、今すぐどこかに行くわけでもない。
ただ、光っている。
それを眺めている時間が、いちばん贅沢かもしれない。
たぶん、洗車が気持ちいいのは、
車がきれいになるからじゃない。
自分のために、何かを手入れする時間を、
ちゃんと、自分に許せているから。
それだけのことなのだと思う。